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杉山弘樹①きっかけ

 杉山弘樹 / HIROKI SUGIYAMA
1987年に静岡県静岡市生まれ。民間企業で勤めた後、24年度4次隊の野球隊員として西アフリカのブルキナファソに派遣。任期を延長し、計2年4ヶ月間活動し、教え子にはブルキナファソ初のプロ野球選手サンホ・ラシィナ(高知ファイティングドックス所属)がいる。現在は公益財団法人スペシャルオリンピックス日本で勤務。

協力隊のきっかけは「母、中吊り、大学の授業」

記念すべき第一回のインタビューになります。宜しくお願いします。

宜しくお願いします。

まず、青年海外協力隊を何で知りました?

中学生の頃に、自分の母親に、”海外のボランティアで野球を教えている人がいるよ”っていうことを聞いて、そこで初めて、そういうのがあるっていうのを認識して。

お母さんよく知ってましたね。

で、そのあとは、大学の頃に、名古屋の地下鉄の中吊りで協力隊のポスターを見て、”そういえば、こんなのあったな”って思い出したね。

中吊り広告って効果あるんですね?(笑)

結構、中吊り見て参加している人いるみたいよ。特に、昔は電車の画面(液晶テレビ)とかなかったからさ、見てる人がいたんだよね。

なるほど。今は、みんなスマホでいじったり、ゲームしてますもんね。

そうだね。

じゃあ、それを見て応募したんですか?

実は、そこでは応募してなくて。(きっかけとなったのが)大学の授業で『世界がもし100人の村だったら』を読んで、その中に”その中で大学に行けるのは一人です。”って文章があって、自分はその中の一人なんだって思って。

よくそこで実感しましたね。今でこそわかりますけど、僕が大学の頃にそんなこと言われても、実感はわかないですね。

そう、でもそこから途上国の貧困とかに問題意識が持てて。授業受けている中で、”問題意識を持てるのも100人中一人かな”って思って。で、”そこに問題意識が持てたなら行動しよう”っていう変な使命感を持つようになった。そこで、協力隊の中吊りを思い出して。

そこで、繋がったんですね!協力隊では、野球隊員として参加したわけですが、受験はどうでしたか。

実は、計5回くらい落ちたんだよね。

え、知らなかった!面接官は見る目ないですね!!(笑)

でも、協力隊に参加するって決めてたから、仕事をしながら(試験を)受け続けて。

ずっと、野球隊員で受験ですか?

野球隊員は、監督経験があるプロフェッショナルなイメージがあって、最初はスポーツ関連の青少年(活動)とか受けてて。アフリカに行きたかったから、国はずっとアフリカを志望してた。

そして、24年度4次隊の野球隊員として合格したんですね。

そうだね。

野球経験と試験内容

まず、野球経験を聞かせてください。

小学校の低学年でソフトボールを始めてて、中学校に入ったら軟式野球に入った。中学校の先生が熱心な人だから本格的に野球をやって、”やっぱり甲子園に行きたい”って思うようになった。

本気ですね。

そう、で高校では硬式に入って、サードとかセカンドとか内野手をメインにやっていて、3年はサードでキャプテンをやってました。大学は、部活には入らず、社会人チームで野球をやってて、そこでは、ブルキナに行くまではずっとプレイしていたね。

もう、ずっと野球をやっていたんですね。ちなみに、野球隊員の試験内容をちょっとだけ教えてください。

書類審査あって、実技があって、面接。書類は、最近の試験をネットで見たけど、それと変わらないかな。例えば、”ピッチャーで肩が開いてしまう選手がいます。あなたならどのように指導しますか”みたいな技術的な問題。で、そのあとは、実技で、キャッチボール、捕ってからすぐ投げるキャッチボール、色んな種類のトスバッティング、で最後にノックを受ける試験、打つ試験かな。基本的に、受験者同士でやって、それを試験官が見てる感じ。それが終わったら面接。”野球の発展していない国ではどういう指導をしますか?”とか、技術的なことに関する面接。時間は20分くらいかな。

②必需品は電子ホイッスル!?

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