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川野歩美②村に入り込む

任地は、ロンプール管区のディナジプール県であってる?

あってる、あってる。

バングラの北西部で、出っ張り部分。周りがインドに囲まれたところね。

そう、インドに囲まれてる。
だから、ヒンズー教徒の人も多くて。

なるほど。バングラはイスラムだよね?割合は?

9割くらいかな。

じゃあ、やっぱりヒンズーはかなり少数派になるわけね。任地までのアクセスは?

ダッカからバスで8時間。
空路だとソイドプール空港っていう空港からバスで1時間くらい。

結構遠いね。バングラの中では僻地の方だよね。経済的発展はしてたの?

街の中心部は、結構ビルが多くて、
5階建ての建物くらいはあった。
駅も電車が止まる主要な駅があるから。

すごいね。まあまあ都会だね。

でも、スーパーとかはないからね。

そうなんだ。買い物は小商店とか?

そうそう、あとはバザール(市場)で鶏買ったりとか。

はいはい、協力隊だね。バングラの行政区分でいうとどんな感じ?

”ショドール”って呼んでたかな。

”ショドール”って?

中心地っていうか、県庁所在地みたいな意味かな。

任地どこ?って聞かれたら?ディナジプール?

そう、ディナジプールって言ってた。
日本でいうと、ディナジプールのショドールっていうのが、千葉県千葉市みたいな。

あぁ、わかった。そこで2015年11月にイタリア人が襲撃されて、亡くなった事件もあったみたいだね。

そうなの、帰った後に。

帰国してすぐだね。

そう、私が帰国した月(2015年10月)に農業支援で滞在していた日本人が襲撃されてしまって、その後、イタリア人の事件が起きて。

任地で起きたっていうのはショッキングだよね。それまで、治安はどうだったの?

でもね、私、二年間のうち、半年くらいは自宅待機してたんだよね。
でも、それはテロとは関係なく、ホルタル*っていう、ゼネストみたいな感じで。

*ホルタル:ゼネラル・ストライキの一種。
一般には政府に対して行う反対運動だが、抗議デモ参加者らによる手製小型爆弾による爆発事件や車両への放火及び襲撃事件等が多発
したほか,デモ隊と治安当局との衝突により多数の死傷者が出ることもある。交通網がマヒするために、日常生活に支障が出ることもしばしばある。
ホルタル実施日は事前に告知されるため、その日は青年海外協力隊隊員は自宅待機を余儀なくされる。

バングラ隊はそれでよく自宅待機になるっていうのは聞いた。どれくらいの頻度で起こるの?

2年目の時は、ちょうど選挙から1年経ったというのもあって、3~4ヶ月はずっと自宅待機だった。
それ以外でも、単発的にちょこちょこあって。
昔の、パキスタンとの独立戦争の戦犯の裁判があったりすると、翌日行われたりとか。

ホルタルの構図は?

バングラは与党と野党の二党制で、対立してて。

じゃあ、それに一般市民も加わるの?

でも、多くの人は普通に生活してて、
少数の、政党に偏った人っていうと言い方が悪いかもしれないけど。
一部の人だね。

そうなんだ。夜は?出歩けるの?

バングラって夜の9時くらいにご飯食べるの。
だから、ご飯呼ばれた時はどうしても遅くなっちゃったりして。
でも、そういう時は家まで送ってもらったりして、
一人では帰らないようにはしてた。

バングラでの1日の流れは?

うちのNGOは、朝の8時に朝礼があって、
みんなで必ず国歌斉唱をしないといけなかったから。
8時には職場に行って、5時とかまでみっちり仕事して。

結構真面目にやるんだね!

うちのNGOは結構真面目だった。
珍しい方だと思う。

やっぱりそうなんだ。じゃあ、日本人的にはやりやすかった?

やりずらかった。笑

逆に真面目すぎて?

いや、すごい拘束されるから。
自分がフィールド行きたくても、
フィールド許可証みたいなのを書かなくてはいけなくて。

あぁ、あるよね。意外とそういうとこは書類主義なんだよね。

そう、フィールド行きたいけど、
何もすることないのに、9-5時でデスク向かったり。
私は何しにバングラ来たんだって思った時もあったし。
その時はバイクも支給されてなかったから、村にもいけなくて。

住居は、どんな家?

5階建ての4階で、家族用の3LDKくらいの家に一人で住んでた。

豪華だね!

そうなの!無駄に広い。
一部屋は使わないから、洗濯干す部屋にしてた。

配属先まではバイク?

実は一年くらいバイクが支給されなくて、
歩くと30分くらいかかるから、
リキシャっていう庶民の乗り物があって、10円か20円くらいで行けるから。
それを使ってた。

それは大変だね。歩くと暑いしね。あれ、暑いよね?寒いのかな、北部だから。

いや、夏はめっちゃ暑くて、冬はヒマラヤから風が吹くから、寒くて。

季節的には最悪だね。

そうかな、みんな寒いけど、暖房はないから、日光を浴びてあったまってた。

すごいね。笑

私はドライヤーを浴びて暖をとってた。

ドライヤーって(笑)。活動の話に戻って、具体的にどんな活動していたの?

フィールドに行って、各グループを回って、
実態を調査したり、話を聞いたり。
それが初めの一年くらいやったかな。

足は?

バスとリキシャ。

大変。移動距離は?

バスで2時間とか乗ったり。

600もあるから回るの大変だね。

でも、最初は全部回ろうと思ってた。

いや、無理でしょ。笑

そう、だから2年目からは地域を絞りました。

絞った理由は?

現地のスタッフがいるんだけど、
そのスタッフのやる気があるところでモデルケースを作ろうと思って。

そうだよね、それが一番いいよね。2年目になると活動も具体的になった?

そうだね、現地のスタッフと一緒に、
ミミズコンポストで野菜を育てるてプロジェクトがあったり。
それは日本の支援で、村人をトレーニングしたりしてたんだけど、
せっかく、コンポストのやり方とか、野菜の植え方、時期とか学んだのに、
結局そのプロジェクトが終わって、続けられなくなるのが勿体無いと思って。
だから、有機野菜栽培をどんどん普及させていこうっていう活動をして。

そうだよね、続かないんだよね。

あとは、袋で野菜栽培をする方法を知って。
バングラって洪水が多いから、それで作物がダメになる地域が多くて。
袋の中で野菜を作ると
洪水の時に移動できるっていうアイディアがあって。
私の活動していた地域は洪水があるような地域ではなかったんだけど、
野菜を育てるような土地がなかったから、
袋の中ならどこでも育てられると思って、
袋で野菜を育てる方法を試行錯誤してた。
あとは、任地に大学があったから、農学部の教授と知り合いになって、
専門的なアドバイスをもらったりもしてた。

実際、それはうまくいったの?

真新しいこともあって、いろんな人が試してはくれたんだけど、
なかなか続けられる人はいなかったのが実際だった。

そうだよね、難しいんだよね。

でも、現地のスタッフの人には引き継いでもらおうとは思ってたから、
袋で野菜を育てる方法は、全部、スタッフに教えた。

③人に頼るのが大事

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