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爽菜農園②それぞれ任地へ

そうですよね。それぞれ、任国の印象を教えてください。

(徹)ケニアはかなりオープン(な国)だったので、入りやすかったですね。ただ、私は言葉が最初はよくできなかったので、打ち解けるには時間がかかったんですが、ウェルカムな国でした。

そうなんですね。

(徹)最近聞くと、ケニアは危ないって言われているのがちょっと悲しいね

コスタリカはいかがでしたか。

(さ)コスタリカは豊かな国で、中南米の国なんで人も明るい人たちでした。

任地について教えてください。

(徹)(首都の)ナイロビから北に100kmほどの(アバーディア・)ナショナルパークが任地で、住んでたところがそのナショナルパークの中なので、簡単にいうと”大きい檻”の中に住んでいるという感じで。家に帰ると、家の横の木葉を象が食べていたり、朝起きるとバッファローの群が家の周りにいるみたいな。そういう生活を送っていて、でも実は(その生活は)あまりにも危険だったんですね。バイク貸与だったんですが、バイクも危ないですし。

ヌーの群れ

クロサイ

すごい、日常ですね。まさに檻の中の生活ですね。

(徹)で、ヘッドクウォーターっていう(国立公園の)管理事務所の宿舎が空いたので、赴任して一年後くらいにそこに移動しました。気候は夏の軽井沢くらいの感じで、標高も2000mくらいなので、あまり湿気もなく。35度くらいあっても、日陰に入れば涼しいくらいです。

ライフラインは?

(徹)電気は通っていたんですが、水は浄水器を使わないと飲めなかったです。川の水を汲みあげてたみたいなんで。

さちえさんの任地は?

(さ)任地はアルファロ・ルイス地区のラ・ブリッサという村で、首都から100キロくらいの田舎で、山の上にあるところだったので過ごしやすかったですね。私の任地も標高2000mくらいの場所で、平均気温は20度くらい。どちらかというと寒くて、冬だとフリース着ないといけないくらい涼しいところでした。配属先が村の農協(*Coopebrisas)で、そこの副農協長をやってるお母さんの家に下宿していました。とにかく豊かだったんで、20年前でも家にはテレビがあったし、コーヒーメーカーもあって、(私が住んで)いる間にはファミコンなんかも買っていましたね。コスタリカは、水道の水飲めるので、50年前くらいの日本くらいだったんでしょうかね。

当時の農協の建物

協力隊時代のさちえさん

協力隊時代のさちえさん

*CoopebrisasのHP
http://www.coopebrisas.com/

コスタリカは水道水飲めるんですね!配属先と活動内容を教えてください。

(徹)KWSっていう*Kenia Wildlife Serviceという動物校舎が配属先で、その中の車両部門に配属された形で、アバーディア・ナショナルパークの自動車整備をしていました。主な活動は、日本で言うところの6ヶ月点検とか、車検とまでは言わないものの、点検を定着させようと言うことでした。以前、他のナショナルパークにいた隊員が6ヶ月点検の普及みたいなことをやっていたので、私はその継続ということですね。ケニアには13のナショナルパークがあって、協力隊が入っていたところが4,5箇所あったんですが、最後に選りすぐりのメカニックを、KWSのトレーニングセンターに呼んでレクチャー(研修)を行いました。

*Kenia Wildlife ServiceのHP
http://www.kws.go.ke/

カウンターパートは?

(徹)メカニックで一番できるやつがカウンターパートでした。

現地の技術レベルはどうでしたか?

(徹)日本と比べるとまだまだですが、致し方ない点は多いですね。




職員は何人くらいいましたか?

(徹)ワーカー、マネージャー、部品係、記録係を含めると、15人くらいですかね。

爽菜農園③苦悩とやりがい

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