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爽菜農園③苦悩とやりがい

さちえさんの方はどうでしたか。

(さ)配属先は村の農協で、小さい村なんですが、しっかりした農協でした。そこの村は標高が高くて涼しいので、主な産業が高原野菜とキャベツ、あとはチーズですね。ホルスタインを放牧して搾乳していたので、その牛乳を集めて、農協でチーズを作って販売していました。農協では、農薬や農業資材の販売、金融の貸し出しもやっていました。

では、JAみたいなものですね。

(さ)そうですね、村の役場的な、中心的な機関で、金融だけでも10人ほど、販売にも4人くらい、チーズ工場には10人いて、立派な農協でした。その中の、販売部の方に机をもらって。ゴミ分別の要請に対して、生ゴミを堆肥化するっていうことで、実はもう一人同期で同じ任地の隊員がいて、(職種が)家政で村の主婦たちにゴミの分別を教える活動をした女性隊員と同時に二人で任地に入りました。ただ、私は新卒だったので、当時一人で入っていたら何もできなかったかもしれないんですが、その女性がいろんな経験もある人で。彼女はまず、主婦を集めてゴミの分別を教えるために、お料理教室を開いて、その時に料理をしながら、「生ゴミはこっち、プラスチックはそっち」という風にやったり、モデル地区を決めて30軒くらいを対象に活動を行ったり、どんどん進めていってくれて本当に助かりましたね。最終的には、トラックを持っているけど、あまり仕事のないおじさんに協力してもらって60軒くらいの家から生ゴミを収集して、もう使っていない牛小屋にためて、堆肥を作って、できたものを農協で販売するっていうことができました。

すごい!システム化するところまでいったんですね。

(さ)そうですね、でも、しっかりとしたシステムではないので、今でも続いているかはわからないですが、一連の流れができました。

でも、そこまでいけたならば、形は変わっているかもしれないですが、続いているんじゃないですかね。

(さ)そうですね、一応私たちが入る10年くらい前に、野菜隊員が入って、有機農業を普及させていたんですね、堆肥の作り方など。なので、既に無農薬で野菜を作っている農家が多くて、堆肥の作り方も知っていたので、すごいやりやすかったですね。

土壌肥料基礎講座

生ゴミや堆肥を運ぶトラック

農協の職員との記念写真

活動で大変だった点とうまくいった点を教えてください。

(徹)大変だったことは語学ですね。自動車整備の人たちってあんまり語学が好きじゃない人が多いと思うんですよね(笑)

そうですよね、あとは、自動車整備となると部品などちょっと専門的な言葉を使わないといけないんじゃないんですか?

(徹)そうですね、それもありますね。

言語は、現地語も?

(徹)そうですね、私が使ったのは、英語とスワヒリ語。

大変でしたね。

(徹)あと日本語も使って(笑)

それも大事ですね(笑)

(徹)うまくいったことは、最後のレクチャー(研修)の時で、私のカウンターパートがエンジンをバラす時に、「徹はそこに座っているだけでいいから!」って言われた時は嬉しかったですね。

カウンターパートの成長を実感したってことですか?

(徹)そうですね。あとは私の技術を認めてくれたってことでもあるんでね。わかってくれたんだねって。(赴任した)はじめは、何言っているかわからかったですし、彼らも私が何を言っているかもわからなかったんでね、その時は嬉しかったですね。

いい話ですね。さちえさんの方はいかがでしょうか。

(さ)堆肥工場があるって聞いていたんですが実際はなかったり、最初はあるって聞いていたことがないことが多かったことですかね。なので、最初は、ひたすら農家回りをして、実際に本格的な活動ができるまでに、半年から1年くらいかかってしまって。あとは、社会経験がなかったので、仕事をどう進めていけばいいかわからなかったんですが、もう一人の女性隊員の方が企画書を作って、農協長に持って行ったんですね。「モデル地区を作って、この30軒をモデルにして、ここでゴミを分別して、こういう講習会をしたいんです!」っていうのをちゃんと作って、説明して。「あ、仕事ってこうやって進めていくんだ!」ってすごい勉強になったのは覚えていますね。

それは勉強になりますね。

(さ)本当にすごい女性で、彼女は任期を全うして帰国したんですが、私だけ作った堆肥をどういう風に使うかまで教えたかったので、任期を半年だけ延長して帰りました。

うまくいくようになったので、延長されるたのもありますか?

(さ)そうですね、堆肥が作れるようになったので。

爽菜農園④帰国後に有機農家に、そして専門家へ

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